明るさとは

私は元来、自分のことを明るいと思っていた。人と話すことが好きだし、友人にも、一緒にいて楽しいと言われていた。
しかし、なぜかこの数ヶ月、新しい環境に溶け込むのに、新しい人に話しかける勇気がなくなってしまっていた。
どうしても話しかけられるのを待ってばかりだったり、自分の中で話をしたり仲良くなるためのリスクが億劫に感じるようになった。  

行動しなければなにも始まらない。ネガティブな自分を打破して、明るい本来の自分に舞い戻ることができるように声かけをしていく。

9月

ついに秋になった。

春先には新たな出会いに胸を躍らせていたものの、全く好きなひとはできなかった。
友人には恵まれているし、休日に遊ぶ友達も少数ながらいる。サークルはほとんど行っていないが、友人はサークルでできたことを考えると、感謝しなくてはならない。アルバイトも始め、大変なこともあるがそれなりに使うための予定ができ充実している。
春に思い描いた自分の姿に、恋愛を除いては70%くらいは達成しているだろう。

上京当初は地元に帰りたいと思っていたが、今は一人暮らしは気楽だし、たまに地元に帰るとそれはそれで歓迎されるしで、この選択をしてよかったのだと思える。
選んだ大学に進んで良かったのかどうか、それに関してはまだ確信を持つことはできないが、やはり楽しいのだ。だから、まあ良いのかな、贅沢な悩みなのだろうな、と思う。

恋愛だけ充実すれば、完璧かもしれない。ただ、とてつもなく億劫だ。

親の金を使う大学生とはわかっているのだが。

大学生で一人暮らしの私は、帰省するたび、親の金を使うことに躊躇がないと注意される。
確かに帰るたび祖母からお小遣いをもらい、母と買い物に行くと何かと買ってもらう。
上京したての頃はお金の大切さに気がつき仕送りも申し訳ないと思っていたが、もう今の私はひたすら家族にたかっている貧しい女になっている。

別にお金がないわけでもないのに、出してもらえるなら出してもらおうとしている。確か高校の頃先生が、帰省したときには思い切り家族に甘えなさいと言っていた。私がだらしなく親にたかっている所以はそこだろう。

申し訳ないとも思うが、やはり甘えてばかりいる帰省の期間は好きだ。ダメな大学生だということは分かっているのだが。

行こう行こう詐欺

友人と会話するとき、どこのお店に行きたい、だとか、あそこの景色がきれいだとか、そういう話になる。

すぐさまインスタグラムを開いて写真でチェックをし、さらに盛り上がる。

「いいなぁ行きたい!」と1人が言い、「行きたいね!行こうよ!」と1人が言う。

だいたいこれは行こう行こう詐欺になりがちな典型的な例である。
行くのか行かないのか分からない微妙な空気が続き、そのうちまた別の話題にいき、結局その話は消えてしまう。

ここで「いつ空いてる?」と言える人はとても勇気がある。日程を決めると話がとんとん拍子に進むからだ。

一気に現実味を帯びるこのフレーズは、都合が良いものの、相手に正直あまり行く気がなかった場合断りづらい雰囲気にしてしまう。
だからこそ、行こう行こう詐欺なのか本心から行きたいと行っているかを見極めることはとても大切なのだ。

あちらこちらで行こう行こうといって、実際にはそのどれもが行こう行こう詐欺である典型例がディズニーである。
恐ろしいくらいに多くのコミュニティで行こうと言い、結局一度も行くことはない人が何人いることか。
そもそも行こう行こう詐欺での約束なのに「私他で行くかもしれないから」と発言するのはただ場を盛り下げるだけなのである。

私の周りでは、行こう行こう詐欺かどうかの見極めは自分の立場の維持に非常に大切だ。馬鹿馬鹿しい気がしてきた。

テーブルで対面した人

私は、男3、女3などの合コン的な席配置になる場合の正面の人と仲良くなるのが苦手だ。どうしてもその人と2人で話すのが苦手なのだ。
自分に自信がないこともあり、私に話しかけられたら迷惑かもしれないだとか、そもそも向こうから話しかけてほしいだとか考えて、話しかけにくい雰囲気を作ってしまっているらしい。
わざとではないが口数は減り、異性と話すのがとてつもなく苦手に感じてしまう。
明るい性格にすら見られていないと思う。

どうすれば、話しかけられやすいやつとしてそこそこの異性の友達を作られるだろうか。

クラス制度が嫌い

ずっと思っていたことなのだが、私は一団になって目標のため一緒にいることを強いられることが嫌いだ。

特に馴れ合い。このクラスが1番だ、とか、仲良し、誰でも過ごしやすい、とか、そういうことを言い合うと気持ち悪く感じてしまう。

それを言うと途端に安っぽく感じるし、内輪だけで盛り上がるあの感じが、自分が外にいるときには興ざめする。中にいるときも、気持ちを確認し合っているように見せかけて、そういうように強要している気がして息苦しい。

一人一人独立して、好きな授業を受けていれば心地よいものを。

アイコンに迷う

私は基本的に、SNSで投稿しない。

写真に特別な思い入れがあるわけでもないし、他人に見せたいほど写りの良い写真もないからだ。

しかし、友人の投稿を見るのにも、アカウントは必須なのでそれなりにSNSは制覇している。

そのときどうしてもアイコンが必要になる。


このアイコン、とても選ぶのが苦手だ。

そもそも大したことない顔をアイコンにしたくないのでそれを避け、かつ年齢相応の写真にするのは、とても難しい。選んでいる時間、たしかに顔やプリクラは手っ取り早いなあと思う。


選んだ写真も、そのまま上げたりはしない。めんどくさいがアイコンのサイズに合うようにトリミングしたり、色彩を変えたり、ぼかしを入れたりする。とにかく時間がかかるのだ。


時間をかけて作ったアイコンも、どうせ他人には大して見られない。自意識過剰というよは、ここにかける時間に比例するのかもしれない。